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2025 .07.05
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前回からの続きです。


主な登場物
 

『エリオット・ネス(Eliot Ness)』
(1903年4月19日 - 1957年5月16日)
財務長官[アンドリュー・メロン]の厳命で[アル・カポネ]を摘○するため
○類取締局でチーム「アンタッチャブル(手出し出来ない奴ら)」を組織し
[アル・カポネ]を追い詰める。
その後も一味の闇○事業者の○発を続け、最終的に69人を捕えた。


 

『ジャック・"マシンガン"・マクガーン(Jack McGurn)』
(1905年 - 1936年2月13日)

マシンガンで撃たれても一命を取り留めたことから
通称["マシンガン"マクガーン]

容姿端麗の希代のプレイボーイで、金髪美女にはとくに目が無かった。
ゴルフの腕前は相当なもの。
[アル・カポネ]の組織に入り3年間で、ボディーガードからパートナーに
まで出世する。


 

『アル・カポネ 暗黒街の頂点篇』
1925年 [ジョニー・トーリオ]引退後、縄張りを譲らり受けるて26歳にして組織のトップに立つ。

26歳で組織のトップに立った[アル・カポネ]の行動が
「政治家・警察関係の買収」「敵の排除」で「組織の拡大を図る」

1927年 買収の結果、実質的に市長ともいえる存在にまでなっていた。
1927年
(1928年?)
7月1日
部下の[ジャック・マクガーン]に命令して
[フランキー・イェール]を○害する。
組織の地位や取引での不正(疑われた)などが理由です。
(彼の葬儀の参列者数は15万人を超えたと言われています。)

実行○は

[ジョン・スカリーゼ]
[アルバート・アンセルミ]
[フレッド・バーグ]
1928年 部下の[ジャック・マクガーン]がラッシュ・ストリートのホテルで
[ジョージ・モラン]の手下の[グーゼンバーグ兄弟]に
マシンガンで襲われる

丁度、この頃[アル・カポネ]も二度ほど狙われる。
1929年
2月14日
[ジャック・マクガーン]の進言(復○でもある)により、
以前より対立している[ジョージ・モラン]と
決着をつけるべく暗○を命令する。

 

通称「聖バレンタインデーの虐○」


[ジョージ・モラン]一家に警察の手入れを装って近づき
暗サツする計画が[ジャック・マクガーン]よって立案される。


[ジョージ・モラン]がSMC運送会社の
倉庫に立ち寄る情報を得て実行する。
しかし、肝心の[ジョージ・モラン]が
時間に遅れた為、○害はできなかった。


しかし[ジャック・マクガーン]を襲った
[グーゼンバーグ兄弟]への○讐はできた。


実行○

[フレッド・バーク]
[ジョン・スカリーゼ]
[アルバート・アンセルミ]
[ジョゼフ・ロロルド]
[キューウェル兄弟]
 

そしてこの虐○の罪では一人も○捕されなかった。

1929年
5月
アトランティック・シティで行われた会合の後、
拳○の不法所持で自作自演で逮○される。

「聖バレンタインデーの虐○」
 

事件で世間の非難が集中していたので、
○捕される事で少し緩和させる為です。

(目立ち過ぎていて他のギ○ングなどに
狙われていた説もあります)

刑期は1929年5月17日~1930年3月17日
の10ヶ月間です。

(刑務所内のでの待遇はもちろんVIP待遇)
1930年 本格的な○捕を逃れる為に、寄付(食事の配給)などを行った。
(実際は地元の業者に寄付させただけ)
1930年
(年末?)
逮○を逃れるため、[アル・カポネ]はシカゴの
サウス・ステート・ストリート935番地の店で

貧しい人たちに1日に3度、無料給食を提供した。
このことは新聞などでも報じられ、
国民が感心した出来事だった。

無料給食を運営するのは1ヶ月に1万ドル経費が掛かる、
とアルは言っていた。

しかし、実際には経費のほとんどは
[アル・カポネ]自身が負担したのではなく、

地元のパン屋、生肉業者、コーヒー豆屋などに
寄付させたものだったという。
1931年
10月7日
[アル・カポネ]脱○裁判が始まる。

[エリオット・ネス]率いる[アンタッチャブル]による
「所得税の脱○」「密造○関係」軸にした調査の結果
○税を主にして告発される。
 

「11年の懲○・罰金8万ドルの有○」が判決を受ける。


裁判前に陪審員のリストを手に入れていて
一人1000ドルで買収したていたが、
[アル・カポネ]一味の弁護士だった[エドワード・J・オヘア]
に情報を密告されて陪審員が入れ替えられる。


[アル・カポネ]側の弁護士も買収していたので
弁護の準備が十分ではなく、結果が厳しい現実になった。

1931年
10月24日
クック郡○務所に収監される。
この刑務所でも職員達を買収してVIP待遇の生活を送る。
1932年
5月2日
最後の望みだった再審請求は最高裁から退けらる。
1932年
5月3日

アトランタ○務所へ電車で出発する。
この時[エリオット・ネス]と生涯最後の会話を交わす。


アトランタ○務所での生活は今までの様なVIP待遇ではなく
一日8時間、靴の修理の仕事をしていた。
囚○達の標的になっていた。
しかし彼の味方をする囚○達もいた。

1932年
8月22日
アルカトラズ刑務所に囚○85号として収監される。
風呂場の掃除係として働いた。
1936年 囚○によるストライキが起きるが、
[アル・カポネ]は参加しなかった。

そのため、他の囚○達に「家族を○す」などの
脅しを受ける。

独房で震えながら毛布を頭からかぶり
泣いてたが原因は神経梅毒の影響だった。
1936年
6月23日
[ジミー・ルーカス]という囚○に背中から刃○で刺される。
理由は
「ストライキに参加しなかった事」
「金銭的なゆすりを断った事」
の二つです。

この事件のあと[ジミー・ルーカス]は隔離棟へ
半年間収監されて狂人になった。

そして神経梅毒の病状が悪化し、
ロサンゼルス付近の連邦矯正施設に移るり
1年近く過ごす事となる。
1939年
10月25日
FBI捜査官[D・W・マジー]が面会に訪れる。
病状の悪化のためか、現実と妄想の
区別が付かなくなってきている。
1939年
11月16日
約8年間の監獄生活が終わりになり釈放される。
収監前の自信に満ち溢れた[アル・カポネ]の姿はどこにも無かった。
1940年
(?)
ボルチモアのユニオン記念病院で
梅毒の治療を4ヶ月間受ける。

治療後は「フロリダのパーム・アイランド」に
住居を構えて新たな生活を始める。

たまにシカゴ(暗黒街)の人間などが訪れてきたりもした。
1945年 病状がさらに悪化。民間人ではじめて
ペニシリンを投与されたが効き目
(進行しすぎで)が無し。
1947年
1月25日
土曜日、午前7時25分

[暗黒街の帝王アル・カポネ]永眠


ニューヨーク・タイムズはこのことを
「悪夢の終わり」と報じた。

1947年
2月4日
葬儀が行われる。

  
 
 

今回も色々と知らないことが多かったです。


今までは映画『アンタッチャブル』を観た時の印象ぐらいしか
なかったのです。


一番びっくりしたのが「26歳で暗黒街の帝王」にまで出世していたのです。
26歳って・・・物凄い事です。


そして一番がっかりしたのが「死因が病気、しかも梅毒!!」でした。
彼位の大物だったら「暗○」かと思ったのです。
当時としては大変な病気だったみたで・・・でも寂しい気分になりました。


今回の知識をもって映画『アンタッチャブル』を久しぶりに
見てみたいと思います。





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