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今回は[シャーロック・ホームズ]シリーズの生みの親である
[アーサー・コナン・ドイル]について調べてみたいと思います。
『アーサー・コナン・ドイル(Arthur Conan Doyle)』 |
本名 | 『アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル』 (Arthur Ignatius Conan Doyle) |
生年月日 | 1859年5月22日 - 1930年7月7日(満71歳没) |
出身地 | スコットランド・エディンバラ |
職業 | 小説家 眼科医 |
『スコットランド・エディンバラ』 |
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1859年(誕生) | スコットランドの首都エディンバラで [チャールズ・アルタモント・ドイル]と[メアリー・フォーリー] との間に生まれる。 |
1864年(5歳) |
父[チャールズ]がアルコール依存症のため家族が離散してしまう。 |
1867年(6歳) | 家族と一緒に再び暮らし始めるが、非常に貧しい暮らしになる。 |
1869年(9歳) | 裕福な叔父の援助によりイエズス会(ローマ・カトリック)系の 学校に通い勉学に励む。 |
1875年(16歳) |
オーストリア・フェルトキルヒにあるイエズス会のステラ学校に通う。 |
『エディンバラ大学』 | ||||||||||||||||||||
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1583年創立で長い歴史を有する大学 英国で6番目、スコットランドで4番目に古い大学。 英国屈指の難関大学の一つで卒業生には 政治家・小説家・ノーベル賞の受賞者など著名人が多い。 | ||||||||||||||||||||
『エディンバラ大学、主な卒業生』 | ||||||||||||||||||||
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1876年(17歳) |
エディンバラ大学の医学部に通い始める。 エディンバラ大学在学中に短編小説を書き始める。 |
1879年(20歳) | 最初の公開作品になる冒険小説「ササッサ谷の秘密」が 「チェンバースジャーナル」に掲載される。 父親の[チャールズ]のアルコール依存症が悪化し精神病院に 入院したため大学在学中に北氷洋行きの捕鯨船に 見習い船医として数ヶ月働きにで、家族の生活を支える。 |
1881年(22歳) | 父親の入院などのアクシデントの為に同期の友人達より 数ヶ月遅れたが無事に大学を卒業する。 卒業後は西アフリカへの貨物船で船医として働く。 |
次回[アーサー・コナン・ドイル・その2]へ続く
今回は[エドガー・アラン・ポーその2]の続きです。
『エドガー・文章と共に』 |
ウェスト・ポイント陸軍士官学校を退学後、ボルティモア移り住み |
『主な出来事』 |
1831年(22歳) | 『1831年8月』 実兄のウィリアム=ヘンリー 結核で死去 |
1833年 (24歳) | 『1833年9月』 |
1836年 (27歳) | 『1836年5月』 仕事が起動に乗っり、ヴァージニアと結婚式を 挙げたる。 |
1842年 (33歳) | 『1842年1月』 妻ヴァージニアが自宅で喀血する。 結核の兆候だった。 |
1846年 (37歳) | ニューヨーク・ブロンクス区にある木造家屋に転居。 |
1847年 (38歳) | 『1847年1月』 妻ヴァージニア死去 |
1849年 (40歳) | エドガーは仕事でリッチモンドへ、ヴァージニア大学の学生時代の恋人だった エルマイラ・ロイスターと再会する。彼女は未亡人になっていて 度重なる求婚の末婚約する。 |
『エドガーの死』 |
1849年 (40歳) | 『1849年9月27日』 |
『エドガーの死因』 |
時代が時代なので、エドガーの死亡証明書を含め、ポーの診断書は 発見された時は、泥酔状態でしかも本人の服ではなく ※もちろん「怖い人」達が行っていたと思われるので逆らえません。 |
今回の[エドガー・アラン・ポー]は名前だけ知っていて
殆どの事が知らないことでした。
どうも[エドガー]は「アメリカ合衆国において文筆だけで身を立てようとした
最初の著名な作家」っとされてます。
しかし[エドガー]は文筆だけで生計がたっていたとはいえませんねが
「文章に携わって生きていた」とは言えますね。
[エドガー]の人生を軽くですが調べてた感想ですが
「文章以外、ダメ人間!!」でした。
学校関係も、「退学」の二文字はあったのですが「卒業」の二文字が
見つからなかったですし・・・。
お酒に関してはわざわざ書かなくても良いぐらいです・・・。
職に関してもコロコロと変えてますし、でも言えるのが
色々な人に愛されている人物なのは分かりました。
そうでもしないと仕事の紹介など誰もしてくれませんし
自己出版などの時も「カンパ」などで補う時もありました。
しかし個人的に[エドガー・アラン・ポー]は本当に何も知らなかったです。
情けないことに日本の小説・推理作家である[江戸川 乱歩]と区別が
殆どついてませんでした。
代表作を調べても読んだ事のある物も知っている物も無かったのです。
[江戸川 乱歩]は「怪人二十面相シリーズ」位でしたが・・・。
今度[エドガー・アラン・ポー関係]の映画などは見てみようと思います。
今回は[エドガー・アラン・ポー]の続きです。
『エドガー・A・ペリー・軍隊に入隊』 |
1827年 (18歳) |
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1827年 (18歳) |
『1827年の7月』 エドガー初めての詩集『タマレーン、その他の詩集』を出版 |
1827年 (18歳) |
『1827年の11月』 エドガーはサウスカロライナ州のムールリ砦に移動し 大砲の弾を準備する特別技術兵に昇進する。 |
1828年 (19歳) |
エドガーはヴァージニア州にあるモンロー要塞に移り、順調に
契約での勤務帰還は5年だったが、エドガーは早期除隊
今までの経歴、本名などを明かしての相談の結果 |
1829年 (20歳) |
電報を受け取ってから直ぐに、リッチモンドに帰ったのだが |
『エドガー・学生に戻る』 |
1829年 (20歳) |
和解したとはいえアラン家に居座るのも気が引けるので
訪ねてみたら非常に貧しい生活をしていたので、滞在なんて |
1829年 (20歳) |
ボルティモアに移り住んだ頃から出版の計画は立てていたが |
1830年 (21歳) |
しかしエドガーが想像していた学生生活ではなかった。 |
1831年 (22歳) |
『1831年1月』 エドガーは意図的に問題を起こし、放校処分になる。 以前よりアランとの関係が悪化し勘当を言い渡せれていたが 最後にアランには退学する事を手紙で伝えた後に問題を 起こした。 |
1831年 (22歳) |
残念ながらこの第三詩集はお世辞にも好評とはいえない |
次回[エドガー・アラン・ポー3]へ続く