2025 .07.05
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
2012 .10.27
今回は「ケンタッキー・フライドチキン(KFC)」で
何時も笑顔で迎え入れてくれる
「カーネルおじさん」について調べてみたいと思います。
『ハーランド・デーヴィッド・サンダース(Harland David Sanders)』 |
(1890年9月9日 - 1980年12月16日) |
国際的な社会奉仕連合団体「ロータリークラブ」のメンバーで 孤児院に毎日お菓子などを提供したり、体の不自由な子供の為に 基金を作ったりと多くの慈善活動をおこなっている。 ンタッキー州議会には地元出身の名士として[カーネル・サンダース] の銅像が飾られている。 そして「フリーメイソン」のメンバーでもあります |
『カーネル・サンダースの歴史』 | |
1890年 |
インディアナ州クラーク郡のヘンリービルに生まれる。 父親は6歳の時に亡くなっていて、母親が一人で兄弟共々育てる。 |
1900年 10歳 |
母親を助けるために農場に働きに出ている。
|
1904年 14歳 |
学校を中退し、農場や電車の車掌などの職業に就く。 |
1906年 16歳 |
年齢を詐称して軍に入隊しキューバ勤務になる。 |
1907年 17歳 |
軍隊を除隊し職を転々とする。この時に就いた職業が40以上もあり 30代の後半にはガソリンスタンドを経営する。 しかし1929年に始まった「大恐慌」の影響で倒産してしまう。 |
1930年 40歳 |
ケンタッキー州のコービン移り住み、国道25号線に面した場所で ガソリンスタンドを経営を始める。 ガソリンスタンドの片隅を改造し、レストランコーナー(6席) 「サンダース・カフェ」を始める。 [サンダース]はガソリンスタンドのオーナー職以外にも 調理とレジ係もしていた。 国道沿いに面していた為、店は繁盛し順調に規模を拡大していった。 |
1935年 45歳 |
ケンタッキー州の知事[ルビー・ラフーン]から 「州の料理への貢献」を評価されて 「ケンタッキー・カーネル」の名誉称号を贈られる。 |
1937年 47歳 |
「サンダース・カフェ」の経営は順調。 モーテルを併設した座席数142のレストランに成長していた。 |
1939年 49歳 |
圧力釜での「オリジナル・レシピ」が確立される。 「サンダース・カフェ」が火災に見舞われる。 |
1941年 51歳 |
新たにコービンに座席数147名のレストランを再建する (以前の場所とは違う!?) 現在の店舗は博物館となっていて アメリカ合衆国国家歴史登録されています。 |
1952年 62歳 |
世界で始めての「フランチャイズ」を始める。 実業家の[ピート・ハーマン]の手によって ユタ州ソルトレイク市に フランチャイズ一号店が開業する。 「ケンタッキー・フライドチキン(KFC)」ブランド名は [ピート・ハーマン]によって提案されたものです。 |
1955年 65歳 |
コービンの町の交通事情が変わり、「サンダース・カフェ」への 客足が遠のく事になる。負債も増えてきてしまいついに 「サンダース・カフェ」を手放す。 借金を返済した結果、手元に殆ど現金が残らなかった。 |
1960年 70歳 |
「サンダース・カフェ」を手放してから 5年間は「フランチャイズ」の普及に努める。 わずか5年で米国とカナダで400店舗を達成する。 |
1963年 73歳 |
「ケンタッキー・フライドチキン(KFC)」600店舗を超える!! |
1964年 74歳 |
「ケンタッキー・フライドチキン(KFC)」の権利を 起業家[ジョン・ブラウン2世] に売却する。 経営の第一線から退いたのですが 「会社の広告塔」して働く事になる。 主な仕事は「オリジナル・レシピ」は守られているかを 確認する為に世界の店舗を見て回る事です。 ちなみに[ジョン・ブラウン2世]は 1979年~1983年までの ケンタッキー州の第55代知事を務めた人物です。 |
1970年 80歳 |
「ケンタッキー・フライドチキン(KFC)」日本に進出!! [サンダース]の日本への訪問は計3回で 「1972年10月、1978年6月、1980年5月」です。 |
1979年 89歳 |
「ケンタッキー・フライドチキン(KFC)」6000店舗達成!! |
1980年 90歳 |
6月に急性白血病を発症 12月16日に逝去 |
今回の驚いたのは「フリーメーソン」のメンバーだったことです。
正直「フリーメーソン」については詳しくは知らないのですが
自分の中の「カーネルおじさん」のイメージと結びつかなかったのです。
若いうちは結構フラフラとしていた印象を受けました。
そして意外と苦労もしているみたいでした。
しかし一番驚いたのが「フランチャイズ」始めた人物だった事です。
今では町をあるけば無数の「フランチャイズ店」があるのに
この事業形態を作ったのが、「カーネルおじさん」だったとは・・・。
少し寂しかったのが結婚などはしていないみたいなのです。
「ケンタッキー・フライドチキン(KFC)」の前に飾ってある
人形は「やさしいおじさん」というイメージですし、写真などをみても
印象は「やさしいおじさん」だったので少し寂しくなりました。
PR