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2025 .07.05
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今回は『ジャンヌ・ダルク』について調べてみたいです。
 

『ジャンヌ・ダルク』
1412年1月6日 - 1431年5月30日(満19歳没)


百年戦争(フランス王国とイングランド王国の戦い)で
オルレアン解放に貢献した人物。

1412年1月6日にフランスのロレーヌ地方にある村の農家に生まれる。

1425年ジャンルは13歳の時に、初めて「声(神の啓示)」を聞いたとされる。
 

『声(神託)の主』
聖女カトリーヌ 『14人の聖なる援助者』の一人とされる聖人
聖女マルグリット 『十四救難聖人』の一人とされる聖人
ミカエル 大天使

 

声の内容
 

「オルレアンの包囲を解いてフランスを救うため
シノンに滞在中の国王(王太子シャルル)のもとへ」

 

     『ジャンヌの旅立ち
 

1428年5月 声(神託)に従い、国王のもとへ
その為には守備隊長ロベール・ド・ボードリクールに

国王に会えるように取り計らってもらう必要があったが
相手にされずに追い返される。


何度か(3回!?)でようやくロベール・ド・ボードリクールが
願いを受け入れてくれる。
1429年2月にシノンへ出発する。


シノンにたどり着いたジャンヌは王太子シャルルに謁見し
声(神託)」を伝え信頼を得る。
ジャンヌを疑っている人間(特に聖職者)が多かったが
3週間にわたる審理の結果でジャンヌを認める事になる。
 

『王太子とジャンヌ』

到着する事を伝令にて知っていた王太子はジャンヌを試す為の芝居を試みる
内容は王太子が側近の中にまぎれるです。
もちろん服装も側近の物に変えてます。
しかしジャンヌはすぐに本物の王太子を見つけてしまいます。

この後に「声(神託)」を伝えて信頼を得るのですが
その時に側近から少し離れた場所で二人きりで話をしている。
ジャンヌの今後の行動から
「オルレアン解放」「王太子の王位」に関してだと推測できますが
正確な内容は最後まで、ジャンヌは口にする事はなかった。

 

ジャンヌの進軍
 

イングランド軍に包囲されているロワール川沿いの都市[オルレアン]へと
1429年4月に進軍が始まった。
その軍隊の中にジャンヌも同行する事になる。
 

出発当初は軍人達に「ラ・ピュセル(la Pucelle)」と呼ばれていた。
(現代では「少女」という意味ですが、当時は女中とか下女の意味合いで呼ばれていたみたいです。)

 

 

ジャンヌと仲間達
 

『ジャン・ド・デュノワ(Jean de Dunois)』
オルレアン攻略の総司令官。
彼は庶子(婚姻関係にない女性から生まれた子供のうち、父親に認知された者)であったため、
侮蔑視され「オルレアンの私生児」などと言われていた。
オルレアン攻略以降もジャンヌが死ぬまで彼女の為に戦う。
後に[ジャン2世・ド・ヴァロワ]を逮捕する。

 

『ジャン2世・ド・ヴァロワ(Jean II de Valois)』
1429年までイングランド軍の捕虜だった。
彼は高額な身代金が払われ釈放されるが、領地はイングランド軍の支配下に
この時期にジャンヌと出会い参戦。

王太子派だったが後に仲違いし、イングランド軍と内通したりする。
後に[ジャン・ド・デュノワ]の偽証により逮捕される。

 

『ラ・イル(La Hire)』
ガスコーニュ地方の武人
ジャンヌ・ダルク奪還にも参加するが、イングランド軍の捕虜になる。

解放後はフランス軍の[総司令官リッシュモン大元帥]の下で活躍する。
[ノルマンディー総司令官]などと呼ばれるようになる。

性格は短気で乱暴者だったみたいで、現代のフランス語でも彼の名前は
「癇癪持ち」の意味合いをもっている。

 

『ジル・ド・レイ(Gilles de Rais)』
「救国の英雄」ブルターニュ地方貴族のフランス元帥

戦のあと自分の領地に戻ると[錬金術][黒魔術]に没頭。
少年達(数百~数千人)を拉致、虐殺、凌辱の限りを尽くす。

領地問題から聖職者を拉致・監禁したことから、告発され逮捕される。
公開裁判で死刑判決。

ジャンヌの死で精神を病んだとも言われている。
「ペローの童話」に登場する「殺人鬼青ひげ」のモデルになったと言われている。

 

『ジャン・ポトン・ド・ザントライユ(Jean Poton de Xaintrailles)』
後のフランス元帥
囚われたジャンヌの奪回に参加し活躍する。

彼の忠誠心と活躍に対してシャルル7世はサン・マケールの町を彼に与える。
12世紀に建てられた[ザントライユ城]を再建させた人物でもある。
同郷のラ・イルと仲がよかったみたいで

遺言にも
「フランス王国においてもっとも勇敢な指揮官の一人であり、
イングランド人を追い出せたのは彼とラ・イールとのおかげである」
と書いているほどです。


 

ジャンヌとオルレアン包囲戦


ジャンヌの戦いでの役割は
旗持ち」「鼓舞」であり
味方の士気を奮い立たせ勢いつける事です。

戦闘においても危険な突撃などを行った。
十代後半の少女が「勇敢に突撃する!!
味方兵士の士気は嫌でも上がっていった。
(左肩に矢を受け、不安のあまり泣き出すなんて
少女っぽいところもあったみたいです。)


フランス軍の奮闘により、翌月にはオルレアンは
七ヶ月以上の包囲から解放し「声(神託)」の一つは達成される。

 

 

ジャンヌともう一つの神託


オルレアン解放後、ジャンヌはロシュ城にいた王太子の下へ
そこでフランス北部都市[ランス]の[ノートルダム大聖堂]での
正式な戴冠式を挙げることを強く主張する。


歴代のフランス王が[ランス]で戴冠式を挙げていたので
シャルルの王位継承権の正統性を世に知らしめるためには
同じ[ノートルダム大聖堂]での戴冠式が必要になるのです。


しかし問題があり反対者も多かったのです。
問題とは「ランスはフランス北部に位置する為
イングランドとの戦闘は避けられない!!。
」からでしたが
最終的にはジャンヌの提案が受け入れられる。


道中の戦闘に勝利し
1429年7月17日、戴冠式を挙げ、正式なフランス国王「シャルル7世」が
誕生した。
その時は北部フランスのブルゴーニュ派(敵対組織)の人々も招かれていた。


これでジャンヌの「2つの使命(神託)」が達成されたのです。

 


次回[ジャンヌ・ダルク2]に続く





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