2025 .07.05
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2013 .02.06
今回は[アーサー・コナン・ドイル]の続きです。
1897年(40歳) | ジーン・エリザベス・リッキーに運命の一目惚れをする!! |
『アーサー、ボーア戦争に従軍する』 |
19世紀~20世紀の転換期に南アフリカで起きた 「第二次ボーア戦争」に従軍する。 小冊子『南アフリカでの戦争:原因と行為』を執筆 他国でも広く翻訳出版される。 20世紀の始めに議員に立候補するが惜しくも落選する。 |
1902年(45歳) | ボーア戦争時の小冊子の功績により Knight Bachelor(下級勲爵士)を授与され イングランド南部のサリー副知事に任命される。 |
1903年(46歳) |
『勇将ジェラールの冒険(Adventures of Gerard)』を執筆 |
1906年(49歳) | 妻ルイーズ・ホーキンズが結核のために亡くなる。 |
1907年(50歳) | 1897年に一目惚れしたジーン・エリザベス・リッキーと再婚する。 |
1912年(55歳) |
のちに多数の映像化されるチャレンジャー教授が |
『アーサー、スピリチュアリズムに没頭する!!』 |
きっかけは第一次世界大戦(1914年~1918年)の時に 1882年にケンブリッジ大学の学寮長3人によって設立さてた 心霊主義の基本は「死後の存在」と「霊魂の証明」などを掲げた その後も、心霊主義の公演や執筆などを精力的におこなう。 |
『ミンステッド』 |
大きな地図で見る |
1930年(71歳) |
1930年7月7日、心臓発作のため71歳で亡くなります。 |
今回はシャーロック・ホームズの生みの親である
「アーサー・コナン・ドイル」について調べてみました。
そして今回も知らない事ばかりでした。
基本的の知識が殆どない状態でした。
まず、「シャーロック・ホームズ」は知ってはいましたが
読んだことは無いですし、「アーサー・コナン・ドイル」
と聞いて何を書いた人物かも知らなかったのです。
そして調べて思ったことが、眼科医になったのは良いの
ですが、なぜすぐに自分の病院を開業してしまうのか!?
でした。
二十歳そこそこの若者がいきなり病院を開業しても
町の人たちはその病院に行くものなのかなぁ!~?と
疑問の答えは結果として現れてますけど
非常に疑問だったのです。
よほど自分に自信があったのか!?
裕福な叔父さんが資金をだしてくれたのか!?
凄く疑問なのです。
まぁ結果としては、暇な時間に小説を書いて
結果は大成功になってますが・・・・。
そして「シャーロック・ホームズ」を世に生み出してからも
頑張って眼球の研究とかをしていたのに身にならずに
いたのが非常に可愛そうでした。
今回調べてみて、「アーサー・コナン・ドイル」という人物は
まさに「天は二物をを与えず」でした。
今度「シャーロック・ホームズ」の映画でも見てみようと思います。
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