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2025 .07.05
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前回からの続きです。

 

ジャンヌの敗戦
 

国王の命令で、引き続き従軍をしているジャンヌの
次の目的は「首都であるパリ奪還!!
シャルル7世の地位は磐石にするためです。
 

この考えに賛同したのが[ジャン2世・ド・ヴァロワ]などのタカ派(強硬派)
 

現状の成果に満足している国王側近のハト派(穏健派)
 

結局は複雑な政治情勢に巻き込まれてジャンヌは孤立し
援護もない戦いに挑まないといけなくなります。
 

1430年5月23日(コンピエーニュの戦い)
ジャンヌはブルゴーニュ軍に捕えられてしまいます。
そしてイングランド軍に1万リーブルの身代金と
引き替えに身柄が引き渡されしまいます。
 

1430年12月24日 ルーアンのブーヴルイユ城に監禁される

 


ジャンヌを裁判
 

1431年2月21日、捕らえたれたジャンヌは異端審問裁判(魔女裁判!?)にかけられる。
裁判長[ジャン・ル・メートル(Jean LeMaitre)]でしたが
実際に取り仕切っていたのはイングランドの息のかかった
[ピエール・コーション(Pierre Cauchon)]でした。
その他にも60名を超える聖職者たちが裁判にたずさわっていました。
 

この裁判の一番の争点は
 

ジャンヌの聞いた声(神託)
 

についてでした。

 

『声(神託)の正体』
ジャンヌの主張 教会側
聖女カトリーヌ
聖女マルグリット
大天使ミカエル
森の精霊
悪魔の声
結果ジャンヌは悪魔崇拝の異端者であると結論づけられてしまいます。
(普段から男装していたのも異端とされた。)


 

『ジャンヌと裁判官の二人』
ジャン・ル・メートル
(Jean LeMaitre)

大審問官ジャン・グラウランが他の異端裁判で出張中だったので
代理として裁判長に選ばれました。

彼は裁判の正当性に疑問を抱いていたらしく
予審の席に殆ど、出席しなかった。

異端審問裁判後はルーアンのドミニコ修道院の修院長を勤めている

ピエール・コーション
(Pierre Cauchon)
[ランス]出身の聖職者。
ジャンヌ異端審問裁判では代理裁判長つとめる。
イングランド・ブルゴーニュ派(敵対組織)と結びつきが強く
ジャンヌの活躍で色々な地位を失ってしまい恨んでいる。
イングランド関係の強い要望が「ジャンヌの火刑!!」
彼の意思も同じ「ジャンヌの火刑!!」

 

 

ジャンヌに判決
 

5月24日 判決が言い渡された!!
 

本来、ジャンヌは火刑が言い渡される予定でしたが
判決を読み上げている途中で本人の口から「異端」と認める。
そのため、教会の指示に従い誓約書に署名し改宗する事で火刑は免れ
変わりに永久入牢の刑が科せられた。
 

しかしこの時に署名した誓約書は
[読み上げた内容と文面の内容が違っていたと言われてます。]
 

5月28日、牢獄で女性の服装をしていたジャンヌが男性の服装に戻っている事件がおきる。

 

[異端再犯]
 

この言葉は救済はない事として、火刑が言い渡される。

 


 

ジャンヌは異端再犯!?
 

最初に状況を整理しておきたいです。
 

彼女は投獄されています。
 

そこで男性の服を手に入れる事ができるのか!?
一番簡単なのが「看守なり外の人間が服を持ってくる」ですね!!
 

ジャンヌが自分の力で洋服を出した!!とかなら
牢獄なんて何の意味もないですね。
 

そして投獄されていたのがイングランド軍の牢獄なのです。
答えは簡単だと思います。
 

[フランスの英雄]=[イングランドの宿敵]ですから
 

イングランドの目的は「ジャンヌの火刑!!」ですから
ただ単に殺すのではなく、社会的にも抹殺する事を目的としているので
[異端再犯]にしたてあげてたのですね。
 

あと書かれている話ですが、投獄中に看守などに酷い事をされていたと。
この時代背景ではありえる話で気分が悪くなります。
 

 


 

ジャンヌの最後
 


5月30日、異端者として教会から破門、即時死刑を宣告される。


[ルーアン市内のヴィエ・マルシェ広場で火刑に処される]


刑が実行されるまでは怯えていたのですが
実行されると毅然とし神への信仰を捨てていなかったとされている。
 

『火刑』

この時代のキリスト教徒にとって一番過酷な刑が火刑になります。
それはキリスト教の[最後の審判]に関係があります。
最後の審判とは、「世界の終わりに、イエス・キリストが再臨し
死者が蘇り、永遠の生命を与えられる者と地獄に墜ちる者とに分ける裁きをする」
との事です。

火刑とは自分の体が灰になるので、最後の審判の時の復活する体が無くなる事を意味する
ので、肉体的以外にも精神・宗教的にも過酷な刑なのです。

     
 

ジャンヌの名誉回復
 


1449年11月10日、フランス軍がイングランド軍を打ち破り
ルーアン城を解放する。

1450年2月15日、国王であるシャルル7世の命令で異端審問裁判の
調査が行われた。

調査の結果を当時のローマ教皇(カリストゥス3世)に提出した事で
異端審問裁判のやり直しが行われた。

        
1455年11月7日、ジャンヌの母の訴えにより復権裁判が行われた。
復権裁判には[ジャンヌの戦友達][オルレアンの市民達]など
115名のジャンヌの縁のある人々が証人として呼ばれた。
 

1456年7月7日、ジャンヌの刑が実行された地ルーアンにて
処刑裁判の無効が宣告され
異端者の汚名からジャンヌの名誉が回復する事ができたのです。
 

 

ジャンヌの死後
 

1909年4月18日、ピウス10世によってノートルダム大聖堂で
福者(Beatus)の称号を得る。
 

1920年5月16日、ベネディクトゥス15世によってサン・ピエトロ大聖堂で
聖人(Saint)の称号を得る。
 

守護対象[フランス]
 

ジャンヌはフランス全土では知名度はそれほど高くかったみたいです。
もちろん一緒に戦った軍隊や解放した都市の住人には人気があった。
とくに解放した都市のオルレアン市民には人気で
 

オルレアンの乙女(la pucelle d'Orleans)
 

と呼ばれて市内に家も提供してもらっていた。
ジャンヌが捕らえられた時には身代金を寄付していたといいます。
(この時の寄付金はシャルル7世が没収したみたいです。)
 

そんなジャンヌがフランス全土で知名度を得るようになるのは
政治的な戦略があったみたいです。
最初にジャンヌの名前を使ったとされるのが
あの有名な[ナポレオン・ボナパルト]みたいです。
 

聖人になり守護対象が[フランス]となる人物なので
色々な政治家の手によって[愛国主義][国民統合]などの
シンボルにされてきたのです。
 

もちろん芸術や文学の題材とされる事も多かったのです。
現代においても多くの映画、小説などの題材にされています。
 

 


今回も知らない事が多かったですね。
少しはジャンヌについては知ってはいたのです。
映画で見たぐらいだったですが・・・。
 

ジャンヌのエピソードが少ないので
映画だけでも結構な知識になっていたのです
 

ただ、それはエピソードだけで
時代背景や、戦友の事などは
調べてみるまでぜんぜん知らなかったのです。
 

やはりこの時代位の話は残酷な事が多いですね。
戦争は何時でも残酷ですけどね・・・。
 

今度は戦友の名前や背景を確かめながら
映画を見てみたいです。
 





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今回は『ジャンヌ・ダルク』について調べてみたいです。
 

『ジャンヌ・ダルク』
1412年1月6日 - 1431年5月30日(満19歳没)


百年戦争(フランス王国とイングランド王国の戦い)で
オルレアン解放に貢献した人物。

1412年1月6日にフランスのロレーヌ地方にある村の農家に生まれる。

1425年ジャンルは13歳の時に、初めて「声(神の啓示)」を聞いたとされる。
 

『声(神託)の主』
聖女カトリーヌ 『14人の聖なる援助者』の一人とされる聖人
聖女マルグリット 『十四救難聖人』の一人とされる聖人
ミカエル 大天使

 

声の内容
 

「オルレアンの包囲を解いてフランスを救うため
シノンに滞在中の国王(王太子シャルル)のもとへ」

 

     『ジャンヌの旅立ち
 

1428年5月 声(神託)に従い、国王のもとへ
その為には守備隊長ロベール・ド・ボードリクールに

国王に会えるように取り計らってもらう必要があったが
相手にされずに追い返される。


何度か(3回!?)でようやくロベール・ド・ボードリクールが
願いを受け入れてくれる。
1429年2月にシノンへ出発する。


シノンにたどり着いたジャンヌは王太子シャルルに謁見し
声(神託)」を伝え信頼を得る。
ジャンヌを疑っている人間(特に聖職者)が多かったが
3週間にわたる審理の結果でジャンヌを認める事になる。
 

『王太子とジャンヌ』

到着する事を伝令にて知っていた王太子はジャンヌを試す為の芝居を試みる
内容は王太子が側近の中にまぎれるです。
もちろん服装も側近の物に変えてます。
しかしジャンヌはすぐに本物の王太子を見つけてしまいます。

この後に「声(神託)」を伝えて信頼を得るのですが
その時に側近から少し離れた場所で二人きりで話をしている。
ジャンヌの今後の行動から
「オルレアン解放」「王太子の王位」に関してだと推測できますが
正確な内容は最後まで、ジャンヌは口にする事はなかった。

 

ジャンヌの進軍
 

イングランド軍に包囲されているロワール川沿いの都市[オルレアン]へと
1429年4月に進軍が始まった。
その軍隊の中にジャンヌも同行する事になる。
 

出発当初は軍人達に「ラ・ピュセル(la Pucelle)」と呼ばれていた。
(現代では「少女」という意味ですが、当時は女中とか下女の意味合いで呼ばれていたみたいです。)

 

 

ジャンヌと仲間達
 

『ジャン・ド・デュノワ(Jean de Dunois)』
オルレアン攻略の総司令官。
彼は庶子(婚姻関係にない女性から生まれた子供のうち、父親に認知された者)であったため、
侮蔑視され「オルレアンの私生児」などと言われていた。
オルレアン攻略以降もジャンヌが死ぬまで彼女の為に戦う。
後に[ジャン2世・ド・ヴァロワ]を逮捕する。

 

『ジャン2世・ド・ヴァロワ(Jean II de Valois)』
1429年までイングランド軍の捕虜だった。
彼は高額な身代金が払われ釈放されるが、領地はイングランド軍の支配下に
この時期にジャンヌと出会い参戦。

王太子派だったが後に仲違いし、イングランド軍と内通したりする。
後に[ジャン・ド・デュノワ]の偽証により逮捕される。

 

『ラ・イル(La Hire)』
ガスコーニュ地方の武人
ジャンヌ・ダルク奪還にも参加するが、イングランド軍の捕虜になる。

解放後はフランス軍の[総司令官リッシュモン大元帥]の下で活躍する。
[ノルマンディー総司令官]などと呼ばれるようになる。

性格は短気で乱暴者だったみたいで、現代のフランス語でも彼の名前は
「癇癪持ち」の意味合いをもっている。

 

『ジル・ド・レイ(Gilles de Rais)』
「救国の英雄」ブルターニュ地方貴族のフランス元帥

戦のあと自分の領地に戻ると[錬金術][黒魔術]に没頭。
少年達(数百~数千人)を拉致、虐殺、凌辱の限りを尽くす。

領地問題から聖職者を拉致・監禁したことから、告発され逮捕される。
公開裁判で死刑判決。

ジャンヌの死で精神を病んだとも言われている。
「ペローの童話」に登場する「殺人鬼青ひげ」のモデルになったと言われている。

 

『ジャン・ポトン・ド・ザントライユ(Jean Poton de Xaintrailles)』
後のフランス元帥
囚われたジャンヌの奪回に参加し活躍する。

彼の忠誠心と活躍に対してシャルル7世はサン・マケールの町を彼に与える。
12世紀に建てられた[ザントライユ城]を再建させた人物でもある。
同郷のラ・イルと仲がよかったみたいで

遺言にも
「フランス王国においてもっとも勇敢な指揮官の一人であり、
イングランド人を追い出せたのは彼とラ・イールとのおかげである」
と書いているほどです。


 

ジャンヌとオルレアン包囲戦


ジャンヌの戦いでの役割は
旗持ち」「鼓舞」であり
味方の士気を奮い立たせ勢いつける事です。

戦闘においても危険な突撃などを行った。
十代後半の少女が「勇敢に突撃する!!
味方兵士の士気は嫌でも上がっていった。
(左肩に矢を受け、不安のあまり泣き出すなんて
少女っぽいところもあったみたいです。)


フランス軍の奮闘により、翌月にはオルレアンは
七ヶ月以上の包囲から解放し「声(神託)」の一つは達成される。

 

 

ジャンヌともう一つの神託


オルレアン解放後、ジャンヌはロシュ城にいた王太子の下へ
そこでフランス北部都市[ランス]の[ノートルダム大聖堂]での
正式な戴冠式を挙げることを強く主張する。


歴代のフランス王が[ランス]で戴冠式を挙げていたので
シャルルの王位継承権の正統性を世に知らしめるためには
同じ[ノートルダム大聖堂]での戴冠式が必要になるのです。


しかし問題があり反対者も多かったのです。
問題とは「ランスはフランス北部に位置する為
イングランドとの戦闘は避けられない!!。
」からでしたが
最終的にはジャンヌの提案が受け入れられる。


道中の戦闘に勝利し
1429年7月17日、戴冠式を挙げ、正式なフランス国王「シャルル7世」が
誕生した。
その時は北部フランスのブルゴーニュ派(敵対組織)の人々も招かれていた。


これでジャンヌの「2つの使命(神託)」が達成されたのです。

 


次回[ジャンヌ・ダルク2]に続く





ダイヤモンド(diamond)/金剛石(こんごうせき)


■4月の誕生石


■誕生日石 04/06 ブルー・ダイアモンド
                07/09   テーパー・バゲッドカット・ダイアモンド
                     07/27 メレ(小粒)・ダイアモンド
                     09/03 ダイアモンドの原石
                     10/03   マクル(三角形ダイヤモンドの原石)
                     10/22   八面体の結晶のダイヤモンド
                     11/11   1カラットのダイヤモンド
                     12/26  ダイヤモンドの原石



■「永遠の絆・純潔・不屈・至高


■ダイヤモンドは、無色透明よりも、やや黄色い物や褐色の物が多いです。
 もちろん無色透明のものほど価値が高く、
 黄色・褐色などの色を帯びた物は価値が落ちます。
 
   しかし鮮やか黄色になると希少価値があり、無色より価値が上がります。
 無色透明以外の色の種類も豊富です。
 代表的なのが[青・赤・緑・黄・紫・黒]などです。


■モース硬度 10


■オーストラリア
 カナダ
 ガーナ
 ロシア
 ボツワナ
 アンゴラ
 ナミビア 
 コンゴ民主共和国
 南アフリカ共和国
 
 
 

ダイヤモンドの4C
 

ダイヤモンドの品質は一般的に『4C』と呼ばれるGIA(米国宝石学会)基準によって評価されます。


1.カラー    (Color)
2.クラリティ(Clarity)
3.カラット  (Carat)
4.カット    (Cut)


の四つの頭文字で『4C』です。

 

『色/Color』
D・E・F 無色
G・H・I・J  ほぼ無色
K・L・M 僅かな黄色味
N~R 非常に薄い黄色
S~Z 薄い黄色
GIA(米国宝石学会)は新しい基準を新しい文字で表記するために
Dから始めたみたいです。
D=1番良い


 

『透明度/Clarity』
FL 石の内外部無欠損
IF 内部無欠損
VVS1
VVS2
10倍拡大で発見困難な包有物
VS1
VS2
10倍拡大で発見がやや困難な包有物
SI1
SI2
10倍拡大で発見が容易。肉眼は困難
I1
I2
I3
肉眼で容易に発見できる包有物


 

『重量/Carat』
1カラット 200ミリグラム(0.2グラム)


 

『研磨/Cut』
EXCELLENT エクセレント
VERY GOOD ベリーグッド
GOOD グッド
FAIR フェアー
POOR プアー

ブリリアントカットにのみカットの評価がされる
[研磨面の対象性=シンメトリー評価]
[石の反射率=ポリッシュの評価]
の二つを基準にしている。


 





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