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2025 .07.05
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今回は怖い映画を調べていた時に見つけた
怖い映画ベスト30(The 30 scariest movies)」をメモしときます。

映画 

原作 

【01】
ローズマリーの赤ちゃん[1968年]
(Rosemary's Baby) 


ローズマリーの赤ちゃん[1967年]
(Rosemary's Baby)  

【02】
ドーン・オブ・ザ・デッド[2004年]
(Dawn of the Dead) 

 

【03】
エクソシスト[1973年]
(The Exorcist) 


エクソシスト[1971]
(Exorcist)

【04】
ザ・リング[2002年]
(The Ring) 

リング[1991年] 

【05】
ハロウィン[1978年]
(Halloween) 

 

【06】
キャリー[1976年]
(Carrie) 


キャリー[1974年]
(Carrie) 

【07】
ブレア・ウィッチ・プロジェクト[1999年]
(The Blair Witch Project) 

 

【08】
悪魔の棲む家[1979年]
(The Amityville Horror)


アミティヴィルの恐怖[1977年]
(The Amityville Horror) 

【09】
ポルターガイスト[1982年]
(Poltergeist) 

 

【10】
パラノーマル・アクティビティ[2007年]
(Paranormal Activity)

 

【11】
遊星からの物体X[1982年]
(The Thing) 


影が行く[1938年]
(Who Goes There?) 

【12】
インシディアス[2011年]
(Insidious) 

 

【13】
サイコ[1960年]
(Psycho) 


サイコ[1959年]
(Psycho)  

【14】
28日後 28[2002年]
( Days Later) 

 

【15】
エルム街の悪夢[1984年]
(A Nightmare on Elm Street) 

 

【16】
狼男アメリカン[1981年]
(An American Werewolf in London) 

 

【17】
羊たちの沈黙[1991年]
(The Silence of the Lambs) 


羊たちの沈黙[1988年]
(The Silence of the Lambs) 

【18】
シャイニング[1980年]
(The Shining) 


シャイニング[1977年]
(The Shining) 

【19】
ドラッグ・ミー・トゥ・ヘル[2009年]
(Drag Me to Hell) 

 

【20】
エイリアン[1979年]
(Alien) 

 

【21】
シックス・センス[1999年]
(The Sixth Sense) 

 

【22】
夕暮れにベルが鳴る[1979年]
(When a Stranger Calls) 

 

【23】
THE JUON/呪怨[2004年]
(The Grudge) 

 

【24】
ソウ[2004年]
(SAW) 

 

【25】
キャビン・イン・ザ・ウッズ[2012年]
(The Cabin in the Woods) 

 

【26】
オーメン[1976年]
(The Omen) 

 

【27】
悪魔のいけにえ[1974年]
(The Texas Chain Saw Massacre) 

 

【28】
ミスト[2007年]
(The Mist) 


霧[1980年]
(The Mist) 

【29】
ヘル・レイザー[1987年]
(Hellraiser) 


ヘルバウンド・ハート[1986年]
(The Hellbound Heart) 

【30】
ジョーズ[1975年]
(Jaws)


ジョーズ[1974年]
(Jaws) 


今回は自分でも意外なほど見たことのある作品が多かったです。
そして見たことの無い映画は殆どが、新しい作品でした。

今回の一番驚いた事は[パラノーマル・アクティビティ]の
低予算っぷり!!でした。

[怖い映画ベスト30]では一番の低予算は
[ブレア・ウィッチ・プロジェクト]と思っていたのですが・・・。

その予算の4分の1位の金額で制作されていたのです。
ゲームデザイナーをしていた[オーレン・ペリ]が
監督・脚本・編集を一人で務めた自主製作した映画。

低予算なので映画の全編が[オーレン・ペリ]の自宅で撮影され、
たったの一週間で撮影を完了した作品。

そして公開するや、興行収入は0を4桁ほど足した金額に・・・。

正直、映画の内容よりもこっちの方が怖かったです。


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今回は[アーサー・コナン・ドイル]の続きです。

1897年(40歳) ジーン・エリザベス・リッキーに運命の一目惚れをする!!

『アーサー、ボーア戦争に従軍する』

19世紀~20世紀の転換期に南アフリカで起きた
「第二次ボーア戦争」に従軍する。
小冊子『南アフリカでの戦争:原因と行為』を執筆
他国でも広く翻訳出版される。
20世紀の始めに議員に立候補するが惜しくも落選する。 

1902年(45歳) ボーア戦争時の小冊子の功績により
Knight Bachelor(下級勲爵士)を授与され
イングランド南部のサリー副知事に任命される。
1903年(46歳)

『勇将ジェラールの冒険(Adventures of Gerard)』を執筆

1906年(49歳) 妻ルイーズ・ホーキンズが結核のために亡くなる。
1907年(50歳) 1897年に一目惚れしたジーン・エリザベス・リッキーと再婚する。
1912年(55歳)

のちに多数の映像化されるチャレンジャー教授が
登場する人気シリーズになる
『失われた世界(The Lost World)』を執筆


『アーサー、スピリチュアリズムに没頭する!!』

きっかけは第一次世界大戦(1914年~1918年)の時に
息子のキングスリーが亡くなった事が大きいとされています。

1882年にケンブリッジ大学の学寮長3人によって設立さてた
「心霊現象研究協会」の属し心霊主義に没頭していく!!

心霊主義の基本は「死後の存在」と「霊魂の証明」などを掲げた
人生哲学なのですが、「心霊現象研究協会」は超常現象などの
トリックを科学的に暴いてしまう活動に、共感できずに脱退する。

その後も、心霊主義の公演や執筆などを精力的におこなう。 


『ミンステッド』 


大きな地図で見る 

1930年(71歳)

1930年7月7日、心臓発作のため71歳で亡くなります。
そして問題が一つ、アーサーはクリスチャンではなかった為
埋葬場所が問題になったのです。
最初の埋葬場所はウィンドルシャムのバラ園で
現在はミンステッドに在るオール・セインツ教会に
埋葬されています。



今回はシャーロック・ホームズの生みの親である
アーサー・コナン・ドイル」について調べてみました。

そして今回も知らない事ばかりでした。
基本的の知識が殆どない状態でした。
まず、「シャーロック・ホームズ」は知ってはいましたが
読んだことは無いですし、「アーサー・コナン・ドイル
と聞いて何を書いた人物かも知らなかったのです。

そして調べて思ったことが、眼科医になったのは良いの
ですが、なぜすぐに自分の病院を開業してしまうのか!?
でした。

二十歳そこそこの若者がいきなり病院を開業しても
町の人たちはその病院に行くものなのかなぁ!~?と

疑問の答えは結果として現れてますけど
非常に疑問だったのです。

よほど自分に自信があったのか!?
裕福な叔父さんが資金をだしてくれたのか!?
凄く疑問なのです。

まぁ結果としては、暇な時間に小説を書いて
結果は大成功になってますが・・・・。

そして「シャーロック・ホームズ」を世に生み出してからも
頑張って眼球の研究とかをしていたのに身にならずに
いたのが非常に可愛そうでした。

今回調べてみて、「アーサー・コナン・ドイル」という人物は

まさに天は二物をを与えずでした。

今度「シャーロック・ホームズ」の映画でも見てみようと思います。


今回は[アーサー・コナン・ドイル]の続きです。

『湾岸都市プリマス』 


大きな地図で見る 


『アーサー念願の医師になる』


1882年
(23歳)


ポーツマス市のサウスシー地区に眼科の診療所を開く。

個人で診療所を開く前にも大学の友人と一緒に

イングランド名西部の湾岸都市プリマスで診療所を
共同で経営していたが、意見が合わずに仲違いしている。

診療所は患者が殆ど来なく、患者を待つ間に
小説を書き雑誌編集社に投稿するする様になる。

1884年(25歳)


1872年に実際に起きた
メアリー・セレスト号乗組員失踪事件

を題材にした小説『J・ハバクック・ジェフソンの証言』が

コーンヒル・マガジン』に小説が投稿での掲載される。

ちなみに小説で実際の船の名前のメアリー・セレスト号
ではなくマリー・セレスト号と明記していた為にこの事件が

実際とは違う名前の「マリー・セレスト号乗組員失踪事件
として有名になってしまう。

1885年(26歳) 患者さんの姉妹の「ルイーズ・ホーキンズ」と結婚する。


『アーサーとシャーロック・ホームズ』


1887年(28歳)


ついに[名作シャーロック・ホームズシリーズ]である

最初の作品「緋色の研究」が「ビートンのクリスマス年鑑」にて
発表される。

しかしすんなりと発表された訳ではない。
色々な出版社に持ち込むが良い返事はもらえずに
唯一ワード・ロック社だけが著作権買取という条件で
発表に応じたが・・・・人気は中々でないでいた。

そんなある日、アメリカの雑誌社「ピンコット・マガジン」からの
依頼を受けることになる。

依頼内容は「シャーロック・ホームズの続編執筆」だった。

1890年(31歳)


リピンコット・マガジン」1890年2月号に依頼されていた

[名作シャーロック・ホームズシリーズ]の最新作「四つの署名」掲載され
莫大な人気を得る事になる。

そして本業である眼科の研究をウィーンで行なう。

1891年(32歳)


ウィーンからロンドンへ映り、眼科の診療所を開業する。
・・・・そして患者が訪れなく暇な時間を執筆活動に充てる。

医師としての自分に見切りをつけて、小説家として
生計を立てていく決心をする。

しかし問題になるのが、[シャーロック・ホームズ]だった。

本人が考えている以上に人気が高まり、次回作の期待も高まり
本来書きたい作品などを書く機会を失っていった。

そして[シャーロック・ホームズシリーズ]を終わらせる事を
真剣に考えるようになる。

1891年(34歳)


ついに[シャーロック・ホームズシリーズ]を終了させる
計画を実行に移す。

父であるチャールズの病状が悪化し亡くなる。




次回[アーサー・コナン・ドイル・その3]へ続く



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