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今回は怖い映画を調べていた時に見つけた
「怖い映画ベスト30(The 30 scariest movies)」をメモしときます。
映画 |
原作 |
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リング[1991年] |
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【30】 |
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今回は自分でも意外なほど見たことのある作品が多かったです。
そして見たことの無い映画は殆どが、新しい作品でした。
今回の一番驚いた事は[パラノーマル・アクティビティ]の
低予算っぷり!!でした。
[怖い映画ベスト30]では一番の低予算は
[ブレア・ウィッチ・プロジェクト]と思っていたのですが・・・。
その予算の4分の1位の金額で制作されていたのです。
ゲームデザイナーをしていた[オーレン・ペリ]が
監督・脚本・編集を一人で務めた自主製作した映画。
低予算なので映画の全編が[オーレン・ペリ]の自宅で撮影され、
たったの一週間で撮影を完了した作品。
そして公開するや、興行収入は0を4桁ほど足した金額に・・・。
正直、映画の内容よりもこっちの方が怖かったです。
今回は[アーサー・コナン・ドイル]の続きです。
1897年(40歳) | ジーン・エリザベス・リッキーに運命の一目惚れをする!! |
『アーサー、ボーア戦争に従軍する』 |
19世紀~20世紀の転換期に南アフリカで起きた 「第二次ボーア戦争」に従軍する。 小冊子『南アフリカでの戦争:原因と行為』を執筆 他国でも広く翻訳出版される。 20世紀の始めに議員に立候補するが惜しくも落選する。 |
1902年(45歳) | ボーア戦争時の小冊子の功績により Knight Bachelor(下級勲爵士)を授与され イングランド南部のサリー副知事に任命される。 |
1903年(46歳) |
『勇将ジェラールの冒険(Adventures of Gerard)』を執筆 |
1906年(49歳) | 妻ルイーズ・ホーキンズが結核のために亡くなる。 |
1907年(50歳) | 1897年に一目惚れしたジーン・エリザベス・リッキーと再婚する。 |
1912年(55歳) |
のちに多数の映像化されるチャレンジャー教授が |
『アーサー、スピリチュアリズムに没頭する!!』 |
きっかけは第一次世界大戦(1914年~1918年)の時に 1882年にケンブリッジ大学の学寮長3人によって設立さてた 心霊主義の基本は「死後の存在」と「霊魂の証明」などを掲げた その後も、心霊主義の公演や執筆などを精力的におこなう。 |
『ミンステッド』 |
大きな地図で見る |
1930年(71歳) |
1930年7月7日、心臓発作のため71歳で亡くなります。 |
今回はシャーロック・ホームズの生みの親である
「アーサー・コナン・ドイル」について調べてみました。
そして今回も知らない事ばかりでした。
基本的の知識が殆どない状態でした。
まず、「シャーロック・ホームズ」は知ってはいましたが
読んだことは無いですし、「アーサー・コナン・ドイル」
と聞いて何を書いた人物かも知らなかったのです。
そして調べて思ったことが、眼科医になったのは良いの
ですが、なぜすぐに自分の病院を開業してしまうのか!?
でした。
二十歳そこそこの若者がいきなり病院を開業しても
町の人たちはその病院に行くものなのかなぁ!~?と
疑問の答えは結果として現れてますけど
非常に疑問だったのです。
よほど自分に自信があったのか!?
裕福な叔父さんが資金をだしてくれたのか!?
凄く疑問なのです。
まぁ結果としては、暇な時間に小説を書いて
結果は大成功になってますが・・・・。
そして「シャーロック・ホームズ」を世に生み出してからも
頑張って眼球の研究とかをしていたのに身にならずに
いたのが非常に可愛そうでした。
今回調べてみて、「アーサー・コナン・ドイル」という人物は
まさに「天は二物をを与えず」でした。
今度「シャーロック・ホームズ」の映画でも見てみようと思います。
今回は[アーサー・コナン・ドイル]の続きです。
『湾岸都市プリマス』 |
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『アーサー念願の医師になる』 |
1882年 (23歳) |
診療所は患者が殆ど来なく、患者を待つ間に |
1884年(25歳) |
ちなみに小説で実際の船の名前のメアリー・セレスト号 |
1885年(26歳) | 患者さんの姉妹の「ルイーズ・ホーキンズ」と結婚する。 |
『アーサーとシャーロック・ホームズ』 |
1887年(28歳) |
そんなある日、アメリカの雑誌社「ピンコット・マガジン」からの 依頼内容は「シャーロック・ホームズの続編執筆」だった。 |
1890年(31歳) |
そして本業である眼科の研究をウィーンで行なう。 |
1891年(32歳) |
医師としての自分に見切りをつけて、小説家として しかし問題になるのが、[シャーロック・ホームズ]だった。 そして[シャーロック・ホームズシリーズ]を終わらせる事を |
1891年(34歳) |
父であるチャールズの病状が悪化し亡くなる。 |
次回[アーサー・コナン・ドイル・その3]へ続く