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2025 .07.05
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今回はアメリカの[モダン・ホラー]の巨匠
[ステーブン・エドウィン・キング]について調べてみたいです。


 

スティーヴン・エドウィン・キング
(Stephen Edwin King)
生年月日 1947年9月21日
出身地 アメリカ合衆国
メイン州ポートランド
モダン・ホラー作家で、作品の共通点としては
舞台を[キャッスル・ロック]という架空の町に設定している事が多く
細かく読んでいくと、小さな繋がりが作品どうしにあり
ほぼ全ての作品が繋がっている。


 

『生い立ち』

1947年9月21日に父ドナルドと母ネリーの間の第2子として生まれる。
ちなみにスティーブンには兄のデイヴィッドは養子です。
 

しかし不幸はすぐに始まる。
スティーブンが2歳の時に父ドナルドが失踪してしまう。
最後の言葉は「タバコと買いに行く」とそれだけの言葉を残して・・・。
 

その後、母のネリーは朝から深夜まで働き
二人の子供を育てあげるのです。
 

そしてスティーブンはウサギを主人公にした物語(4話)を書き
母親に読んでもらうと、母親は1話につき1セントのお小遣いを渡す。
これがスティーブンの物書きとしての最初のギャラ!?
 

文章を書いたりする事が好きな子供だったスティーブンに
母ネリーは1958年のクリスマスにタイプライターをプレゼントする。

このプレゼントを切欠になり雑誌に小説を投稿するようになる。
初の採用は1965年に『コミックス・レヴュー』誌に
『私は十代の墓荒らしだった』が掲載される。
 

ちなみにスティーブンは幼い頃から、殺人事件のスクラップを集めていた。
この趣味は、後の小説家としての彼には大いに役にたつ趣味です。


 

『学生時代』

1966年~1970年 母親の勧めにで、教員免許を得るためオロノにある
メイン大学に入学する。
20歳の時に『スタートリング・ミステリー・ストーリーズ』誌に投稿した
小説『鏡の床』が掲載される。

大学の2年から学内新聞のコラムを担当することになる。
在学中の図書館でのアルバイトで、タビサ・スプルースと知り合う。
1970年 英語で学士号取得し卒業し1971年の1月に
タビサ・スプルースと結婚する。


 

『大学卒業後の生活』

卒業し教師の職を探したのだが、見つからなかった為に
妻子を養うため、クリーニング屋で働きながら空いた時間を見つけては
短編小説を書いていた。

教師の職探しは続けており、何とかメイン州ハンプデンの
公立高校ハンプデン・アカデミーに英語の教師の職を得る。


しかし教師は考えていたより時間を束縛され、多忙な日々に
小説を書く時間すら得られなくなる。
経済的にも厳しくなり、休日もアルバイトをし、妻も働きにでて家計を助けてくれた。


 

『小説家としての始まり』
全てを決定させたのが妻タビサの存在だった。

スティーブンがある小説を執筆中に、初稿3ページまで書いて
ゴミ箱に捨ててしまう。

それを拾って読んだ彼女は、最後まで完成させるようにと励ました。
見事完成した小説が処女作『キャリー』、後に映像化もされる作品。


この作品のおかげで教師の年俸の三倍ちかい金額を手に入れる事になる。
当時のスティーブンは、たいした収入にはならないと思っていて
教師を続けていくつもりだったのだが・・・蓋を開けてみたら結構な金額に・・・。


『キャリー』は、1974年の春に出版される。
小説家として何とかスタートできたのが良い事ばかりではなかった。
1974年2月に最愛の母が癌のために病死してしまうのです。


同年の秋にメイン州を離れて、コロラド州ボルダーに移り住み
代表作の一つ『シャイニング』を書き上げる。


1975年の夏にメイン州に拠点を移し、次々とベストセラー作品を
執筆する事になる。


 

『私生活』

スティーブンは80年代に薬物依存症になる。
以前よりアルコール依存症だったのだが・・・・。


しかしここで、また妻タビサの存在が彼を助けるのです。
あまりに症状が酷くなってきたスティーブンに
「治療」か「家族」のどちらかを選択させる。
妻タビサの協力のもと、依存症を克服していく。


その他にも、人気作家になったスティーブンの家に
熱狂的なファンが侵入する事件。


別荘の近所を散歩中に、ライトバンに轢かれ重傷を負う。
運転者が飲酒運転をしていたという証言もある。
この時の事後で負った怪我は、回復しきらないで
未だに片足は不自由になった。


 

『別名義』

アメリカの出版業界では作家1人で1年に1冊だけ出版するという
風潮があったが、別のペンネームを使えば新たに出版できるのです。

その時に使った別のペンネームは
『リチャード・バックマン』
別のペンネームでもヒットを連発する。


 

『リチャード・バックマンの名義作品』
『ハイスクール・パニック(1977年)』(Rage)
『死のロングウォーク(1979年)』(The Long Walk)
『最後の抵抗(1981年)』(Roadwork)
『バトルランナー(1982年)』(The Running Man)
『痩せゆく男(1984年)』(Thinner)
『レギュレイターズ(1996年)』(The Regulators)
『Blaze(2007年)』

 


今回は知っている作品が多かったのですが
[ステーブン・エドウィン・キング]の作品の多さに驚きました。


知っている数と知らない数の比率が酷い事になりました。
しかし、生い立ちなどを調べていたのですが
キーになっているのは、女性ですね。
彼の人生で2人の女性の存在が大きいと思います。


母子家庭の[スティーブン・エドウィン・キング]の家は幼い頃は
風呂がなく、遠くの親戚の家に風呂を借りに行っていたみたいで
金銭的にはかなり厳しい状態だった中に
それでも文章を書く事が好きな息子に
クリスマスのプレゼントとしてタイプライターをプレゼントした
母親のネリーが1人目です。


そして2人目は妻タビサです。
大学を卒業してすぐに結婚したのは苦労とは思わないのですが
デビュー作の『キャリー』のエピソードなどは
[スティーブン・エドウィン・キング]の作家人生の起点になっています。


彼の小説への情熱を理解していないと決してできない事です。
それに成功後の依存症の克服への手助けなどは素敵だと
思います。



二人の女性に恵まれてこその、今の作家としての
[スティーブン・エドウィン・キング]だと思います。


映画化された作品が多いので有名で未だに見ていない
[ショーシャンクの空に]でも、今度みてみたいと思います。





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