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今回は、英国推理作家協会(The Crime Writers' Association)が
1990年に発表した
『史上最高のミステリー小説100冊』
から上位の20冊をメモしときます。
『史上最高の推理小説 第1位』 |
『時の娘(1951年)』 (The Daughter of Time ) |
ジョセフィン・テイ (Josephine Tey) (1896年 - 1952年) |
『史上最高の推理小説 第2位』 |
『大いなる眠り(1939年)』 (The Big Sleep) |
レイモンド・チャンドラー (Raymond Thornton Chandler) (1888年7月23日 - 1959年3月26日) |
『映像化作品』 |
『三つ数えろ(1946年)』 『 大いなる眠り(1978年)』 |
『史上最高の推理小説 第3位』 |
『寒い国から帰ってきたスパイ (1963年)』 (The Spy Who Came in from the Cold) |
ジョン・ル・カレ (John le Carre) |
『映像化作品』 |
『寒い国から帰ったスパイ(1965年)』 |
『史上最強の推理小説 第4位』 |
『学寮祭の夜 (1935)』 (10.Gaudy Night) |
.ドロシー・L・セイヤーズ (Dorothy Leigh Sayers) (1893年6月13日 - 1957年12月17日) |
『史上最強の推理小説 第5位』 |
『アクロイド殺し(1926年)』 (The Murder of Roger Ackroyd) |
アガサ・クリスティ (Dame Agatha Christie , DBE) (1890年9月15日 - 1976年1月12日) |
『史上最強の推理小説 第6位』 |
『レベッカ』 (Rebecca) (1938年) |
ダフネ・デュ・モーリア (Dame Daphne du Maurier,DBE) (1907年5月13日 - 1989年4月19日) |
『映像化作品』 |
『レベッカ(1940年)』 |
『史上最強の推理小説 第7位』 |
『さらば愛しき女よ(1940年)』 (Farewell, My Lovely) |
レイモンド・チャンドラー (Raymond Thornton Chandler) (1888年7月23日 - 1959年3月26日) |
『映像化作品』 |
『The Falcon Takes Over(1942年)』 『ブロンドの殺人者(1944年)』 『さらば愛しき女よ(1975年)』 |
『史上最強の推理小説 第8位』 |
『月長石(1868年)』 (The Moonstone) |
ウィルキー・コリンズ (William Wilkie Collins) (1824年1月8日 - 1889年9月23日) |
『史上最強の推理小説 第9位』 |
『イプクレス・ファイル(1962年)』 (The Ipcress File) |
レン・デイトン (Leonard Cyril Deighton) |
『映像化作品』 |
『国際諜報局(1965年)』 |
『史上最強の推理小説 第10位』 |
『マルタの鷹(1930年)』 (The Maltese Falcon) |
ダシール・ハメット (Samuel Dashiell Hammett) (1894年5月27日 - 1961年1月10日) |
『映像化作品』 |
『マルタの鷹(1931年)』 『魔王が婦人に出遭った(1936年)』 『マルタの鷹(1941年)』 |
『史上最強の推理小説 第11位』 |
『フランチャイズ事件(1948年)』 (The Franchise Affair) |
ジョセフィン・テイ (Josephine Tey) (1896年 - 1952年) |
『史上最強の推理小説 第12位』 |
『失踪当時の服装は(1952年)』 (Last Seen Wearing ...) |
.ヒラリー・ウォー (Hillary Baldwin Waugh) (1920年6月22日 - 2008年12月8日) |
『史上最強の推理小説 第13位』 |
『薔薇の名前(1980年)』 (Il nome della rosa) |
ウンベルト・エーコ (Umberto Eco) |
『映像化作品』 |
『薔薇の名前(1986年)』 |
『史上最強の推理小説 第14位』 |
『追われる男(1939年)』 (Rogue Male) |
ジェフリー・ハウスホールド (Geoffrey Edward West Household) (1900年11月30日 - 1988年10月4日) |
『史上最強の推理小説 第15位』 |
『長いお別れ(1953年)』 (The Long Goodbye) |
レイモンド・チャンドラー (Raymond Thornton Chandler) (1888年7月23日 - 1959年3月26日) |
『映像化作品』 |
『ロング・グット・バイ(1973年)』 |
『史上最強の推理小説 第16位』 |
『殺意(1931年)』 (Malice Aforethought) (A Story of a Commonplace Crime) |
フランシス・アイルズ (Anthony Berkeley Cox) (1893年7月5日 - 1971年3月9日) |
『史上最強の推理小説 第17位』 |
『ジャッカルの日(1971年)』 (The Day of the Jackal) |
フレデリック・フォーサイス (Frederick Forsyth) |
『映像化作品』 |
『ジャッカルの日(1973年)』 『ジャッカル(1997年)』 |
『史上最強の推理小説 第18位』 |
『ナイン・テイラーズ (1934年)』 (The Nine Tailors) |
ドロシー・L・セイヤーズ (Dorothy Leigh Sayers) (1893年6月13日 - 1957年12月17日) |
『史上最強の推理小説 第19位』 |
『そして誰もいなくなった(1939年)』 (Ten Little Niggers) (And Then There Were None) |
アガサ・クリスティ (Dame Agatha Christie , DBE) (1890年9月15日 - 1976年1月12日) |
『映像化作品』 |
『そして誰もいなくなった(1945年)』 『姿なき殺人者(1965年)』 『10人の小さな黒人(1987年)』 『サファリ殺人事件(1989年)』 |
『史上最強の推理小説 第20位』 |
『三十九階段(1915年)』 (The Thirty-Nine Steps) |
ジョン・バカン (John Buchan, 1st Baron Tweedsmuir) (1875 年 8 月 26 日-1940 年 2 月 11 日) |
『映像化作品』 |
『三十九夜(1935年)』 |
前回、『アガサ・クリスティ』を調べた事で気になり始めたのです。
まぁ~前回で思い知ったのですが、世界的に有名な作品だからといって
自分が知らない事が多いのですね・・・今回も知らない作品ばかりですね。
ただ、今回は知っている(映画で観た)作品が2作あったのです。
13位の『薔薇の名前』と17位『ジャッカルの日』です。
そして疑問が一つ、第一位の『時の娘』は映像化してないのでしょうかね!?
調べても解からなかったのです。
流石に英国推理作家協会が選んだ一位の作品だから
映像化が難しかったのですかね!?
『アガサ・クリスティ』の代表作『アクロイド殺し』も2000年にテレビ化した際に
トリックを上手く表現できなかったみたいなのです。
推理小説の映画化は素人目に見ても難しそうなので
特に傑作になればなるほど、世間の評価も厳しそうですしね。
近いうちにこの下の順位もメモしていきたいです。
今回はミステリー作家『アガサ・クリスティ』を調べてみたいです。
『アガサ・クリスティ』(Agatha Christie) |
(1890年9月15日 - 1976年1月12日) |
イギリス生まれの推理作家 |
1890年 9月15日 (誕生) |
イングランドナ西部のデヴォン州トー湾に面した保養地トーキーにて [フレデリック・アルヴァ・ミラー]と[クララ・ベーマー]との間に 次女アガサ・メアリ・クラリッサ・ミラーとして生まれる。 |
幼少期 |
少し風変わりな母親からの教育を受ける。 彼女の母親はかなり変わった価値観の持ち主で、 その母親の教育もかなり変わっていた。 たとえばの話ですが、 「7歳になるまでは字が書けない方が良い」 と本気で信じていたらしく この信念に基づいて、アガサ自身にも 文字を教えていなかったらしい。 (父親は、隠れて文字を教えたみたいです。)
そして極めつけの教育観が、「正規の教育を受けさせない」で
そんなアガサは比較的に裕福な家庭だったので
しかし、この友達がいない状態が、
このような幼少期ですが、母親の教育方針についてはアガサ自信は |
1901年 11歳 |
父[フレデリック・アルヴァ・ミラー]が死去。 アガサはこの頃から小説などの執筆を始める。 小説を書くことになった理由が病気(インフルエンザ)にかかり、 読む本がなくなったから自分で書き始めたらしいです。 |
1909年 19歳 |
アガサは長編小説『砂漠の雪を執筆していた。 アガサの家の近所にインド生まれの作家[イーデン・フィルポッツ]に 的確な助言を受ける。 |
1914年 24歳 |
アガサはアーチボルド・クリスティ大尉と結婚。 この時期は第一次世界大戦(1914年~1918年)中で アガサは薬剤師助手として勤務していた。 後に役に立つ毒薬の知識を得る事になる。 |
1919年 29歳 |
娘『ロザリンド』が生まれる。 |
1920年 30歳 |
苦労が実を結び『スタイルズ荘の怪事件』が 出版され作家としてデビューする。 |
1926年 36歳 |
『アクロイド殺し』の発表でミステリーファンの間で |
1926年 36歳 |
母[クララ・ベーマー]が死去。 |
1926年 12月3日 36歳 |
アガサは自宅をでたまま失踪してしまう。 11日後に保養地のホテルに別人名義で宿泊していたところ 保護されて解決する。
自伝でもこの失踪事件のことは触れていません。 この失踪事件を題材にした映画『アガサ 愛の失踪事件』 |
1928年 38歳 |
アガサついに離婚。アーチボルドは愛人と再婚する事になる。 |
1928年 10月 38歳 |
離婚後に友人の家に招かれて、オリエント急行や イスタンブールの話を聞いた事がきっかけになり後の 『オリエント急行の殺人』執筆に繋がる。 |
1930年 40歳 |
中東へと旅行中に考古学者のマックス・マローワンと出会い、 後の9月11日再婚する。 |
1943年 53歳 |
『カーテン(1975年)』及び『スリーピングマーダー(1976年)』 を死後出版の契約をする。 |
1952年 11月25日 62歳 |
アガサ書下ろしの戯曲『The Mousetrap』がロンドンの |
1955年 65歳 |
アメリカ合衆国の推理作家の団体、 アメリカ探偵作家クラブ (Mystery Writers of America 略MWA) MWA賞巨匠賞 受賞。 |
1956年 66歳 |
大英勲章第三位 (CBE) コマンダー司令官 叙勲。 |
1971年 81歳 |
大英勲章第二位 (DBE) デイム・コマンダー司令官騎士 叙勲。 |
1973年 83歳 |
アガサ生涯最後の執筆『運命の裏木戸』を発表。 |
1975年 85歳 |
死後契約だったが『カーテン』の発表を許可する。 |
1976年 1月12日 満85歳 |
イギリスのウォリングフォードにある自宅で 風邪をこじらせてしまい死去。 イギリスのセント・メアリ教会に埋葬される。 |
1976年 | 死後契約だった『スリーピングマーダー』が発表される。 |
2009年 |
未発表の短編集 「犬のボール」や 創作ノートをまとめた『アガサ・クリスティの秘密ノート(上・下)』 などが発表される。 |
今回調べた『アガサ・クリスティ』ですが、本当に殆ど知らないです。
彼女について知っていた知識をならべると
1、ミステリー作家(ただ国籍不明)
2、「オリエント急行の殺人」の作者
3、イスタンブールに何時もとまるホテルがあった(旅行番組で観た!?)
書いた項目の3番目は少し微妙ですね。
しかし世間での評価は凄い人ですね。
調べれいけば調べていく程に、凄い作家だと言うことを知りました。
「聖書」と「シェイクスピア」の次によく読まれている」と言われていたり
ギネスブックにも「史上最高のベストセラー作家」などに認定している。
ある意味、こんなに凄い人の作品を殆ど知らない自分が凄いと感じます。
ここまで世界中の人に愛されている作品が多いので
近いうちに、映画化された作品でも見てみたいと思います。
あの有名な劇作家ことを調べてみたいです。
『ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare)』 |
(1564年4月23日? - 1616年4月23日) |
『ウィリアム・シェイクスピアの人生』 | |
1564年 4月23日? |
イングランドのストラトフォード・アポン・エイヴォンに生まれる。 父親のジョンは皮手袋商人で成功し市会議員なども 勤めている人物で、かなり裕福な家庭の 八人兄弟の次男として誕生する。
生まれた時は裕福でしたが、父[ジョン]が羊毛の |
1582年 11月29日 (18歳) |
[ウィリアム]18歳 8歳年上の女性[アン・ハサウェイ]と結婚する。
※洗礼式が生まれて三日後の計算で誕生日を書いてます |
1583年 5月23日 (19歳) |
長女「スザンナ」が誕生する。 |
1585年 1月31日 (21歳) |
長男[ハムネット]と・次女[ジュディス]の双子が誕生する。 |
1585年 ↓ 1592年 |
21歳からの7年間は[ウィリアム]の記録は一切無い。 ただ[ウィリアム]が亡くなってから色々な説がでているが 正確な証拠は存在しない。 空白の期間から7年たち「ロンドン」へ |
1592年 (28歳) |
「ロンドン」で演劇界で仕事をしている。 当時の「ロンドン」は「エリザベス朝演劇」の大盛況により 演劇ブームが到来し劇場や劇団が無数に 設立されていた時期です。 そんな中[ウィリアム]は「役者・脚本家」として活動する。 色々な証言、言動からかなりの天狗だっと推測できる。 |
1594年 (30歳) |
「役者・脚本家」兼「共同所有者」になり 劇場グローブ座の「共同株主」にもなる。 |
1596年 (32歳) |
父親[ジョン]は、以前より紋章を熱望していた。 父親[ジョン]の願いでもある紋章(中流階級)を取得するべく 紋章院へ、再び申請する。 父親[ジョン]の資格は十分、妻の家柄も良い、 そして本人は経済的に成功している。 以下の理由からシェイクスピア家は念願の 紋章を手に入れる事ができた。 |
1596年 8月11日 (32歳) |
長男[ハムネット]が亡くなり葬式が行われる。 |
1596年 (32歳) |
ビショップスゲイトのセント・ヘレン教区へ転居 |
1598年 (34歳) |
グローブ座で初公演され、劇作家・詩人[ベン・ジョンソン]の 「十人十色」では出演者一覧の最上段に [ウィリアム]の名前が記載れている。
(※俳優としても大成功している)
チラシなどに[ウィリアム]に名前を載せる様になる。
(※彼の名前で人が呼べる)
|
1599年 (35歳) |
サザックへ転居した。 |
1603年 (39歳) |
[エリザベス1世]が死去し[ジェームズ1世]が即位する。 劇団名を[ジェームズ1世]が国王一座へと改称させ 自ら庇護者となることを約束する。 |
1604年 (40歳) |
家主の娘の仲人をつとめた。
ロンドンでの成功で[ウィリアム]は色々な不動産や |
1613年 (49歳) |
故郷ストラトフォードへと引退した。 |
1616年 4月23日 (52歳) |
永眠する。 死因は腐りきったニシンから伝染した感染症とされている。 そして「洗礼式」が生まれて三日後の計算が正しいのならば [ウィリアム]は生まれた日と同じ日に亡くなった事になります。 |
生まれ故郷である「ストラトフォード・アポン・エイヴォン」 にある「ホーリー・トリニティ」教会に埋葬された。 |
今回も知らない事だらけでした。
そし現代でも、『ウィリアム・シェイクスピア』 の原作の作品は沢山あります。
まぁ有名どころはなんといっても『ロミオとジュリェット』でしょうね!!
少し調べてみるだけで文庫本も沢山売ってますし、もちろん原作者が
『ウィリアム・シェイクスピア』になってます。
何百年も前の人が書いたものが今も販売されているのは何か不思議です。
そして時代を現代に置き換えた映画
『コリオレイナス』や『ロミオ+ジュリエット』もあります。
彼の作品だけではなく『ウィリアム・シェイクスピア』個人を主人公にした
映画『恋におちたシェイクスピア』なんてのもあります。
作品の一覧をみていると、題名だけは知っているものが多いのです。
ただ、題名だけを使ったものですけどね。
少し調べて詳しくなったので何作か映画を見てみたいと思います。