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今回は[アーサー・コナン・ドイル]の続きです。
1897年(40歳) | ジーン・エリザベス・リッキーに運命の一目惚れをする!! |
『アーサー、ボーア戦争に従軍する』 |
19世紀~20世紀の転換期に南アフリカで起きた 「第二次ボーア戦争」に従軍する。 小冊子『南アフリカでの戦争:原因と行為』を執筆 他国でも広く翻訳出版される。 20世紀の始めに議員に立候補するが惜しくも落選する。 |
1902年(45歳) | ボーア戦争時の小冊子の功績により Knight Bachelor(下級勲爵士)を授与され イングランド南部のサリー副知事に任命される。 |
1903年(46歳) |
『勇将ジェラールの冒険(Adventures of Gerard)』を執筆 |
1906年(49歳) | 妻ルイーズ・ホーキンズが結核のために亡くなる。 |
1907年(50歳) | 1897年に一目惚れしたジーン・エリザベス・リッキーと再婚する。 |
1912年(55歳) |
のちに多数の映像化されるチャレンジャー教授が |
『アーサー、スピリチュアリズムに没頭する!!』 |
きっかけは第一次世界大戦(1914年~1918年)の時に 1882年にケンブリッジ大学の学寮長3人によって設立さてた 心霊主義の基本は「死後の存在」と「霊魂の証明」などを掲げた その後も、心霊主義の公演や執筆などを精力的におこなう。 |
『ミンステッド』 |
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1930年(71歳) |
1930年7月7日、心臓発作のため71歳で亡くなります。 |
今回はシャーロック・ホームズの生みの親である
「アーサー・コナン・ドイル」について調べてみました。
そして今回も知らない事ばかりでした。
基本的の知識が殆どない状態でした。
まず、「シャーロック・ホームズ」は知ってはいましたが
読んだことは無いですし、「アーサー・コナン・ドイル」
と聞いて何を書いた人物かも知らなかったのです。
そして調べて思ったことが、眼科医になったのは良いの
ですが、なぜすぐに自分の病院を開業してしまうのか!?
でした。
二十歳そこそこの若者がいきなり病院を開業しても
町の人たちはその病院に行くものなのかなぁ!~?と
疑問の答えは結果として現れてますけど
非常に疑問だったのです。
よほど自分に自信があったのか!?
裕福な叔父さんが資金をだしてくれたのか!?
凄く疑問なのです。
まぁ結果としては、暇な時間に小説を書いて
結果は大成功になってますが・・・・。
そして「シャーロック・ホームズ」を世に生み出してからも
頑張って眼球の研究とかをしていたのに身にならずに
いたのが非常に可愛そうでした。
今回調べてみて、「アーサー・コナン・ドイル」という人物は
まさに「天は二物をを与えず」でした。
今度「シャーロック・ホームズ」の映画でも見てみようと思います。
今回は[アーサー・コナン・ドイル]の続きです。
『湾岸都市プリマス』 |
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『アーサー念願の医師になる』 |
1882年 (23歳) |
診療所は患者が殆ど来なく、患者を待つ間に |
1884年(25歳) |
ちなみに小説で実際の船の名前のメアリー・セレスト号 |
1885年(26歳) | 患者さんの姉妹の「ルイーズ・ホーキンズ」と結婚する。 |
『アーサーとシャーロック・ホームズ』 |
1887年(28歳) |
そんなある日、アメリカの雑誌社「ピンコット・マガジン」からの 依頼内容は「シャーロック・ホームズの続編執筆」だった。 |
1890年(31歳) |
そして本業である眼科の研究をウィーンで行なう。 |
1891年(32歳) |
医師としての自分に見切りをつけて、小説家として しかし問題になるのが、[シャーロック・ホームズ]だった。 そして[シャーロック・ホームズシリーズ]を終わらせる事を |
1891年(34歳) |
父であるチャールズの病状が悪化し亡くなる。 |
次回[アーサー・コナン・ドイル・その3]へ続く
今回は[シャーロック・ホームズ]シリーズの生みの親である
[アーサー・コナン・ドイル]について調べてみたいと思います。
『アーサー・コナン・ドイル(Arthur Conan Doyle)』 |
本名 | 『アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル』 (Arthur Ignatius Conan Doyle) |
生年月日 | 1859年5月22日 - 1930年7月7日(満71歳没) |
出身地 | スコットランド・エディンバラ |
職業 | 小説家 眼科医 |
『スコットランド・エディンバラ』 |
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1859年(誕生) | スコットランドの首都エディンバラで [チャールズ・アルタモント・ドイル]と[メアリー・フォーリー] との間に生まれる。 |
1864年(5歳) |
父[チャールズ]がアルコール依存症のため家族が離散してしまう。 |
1867年(6歳) | 家族と一緒に再び暮らし始めるが、非常に貧しい暮らしになる。 |
1869年(9歳) | 裕福な叔父の援助によりイエズス会(ローマ・カトリック)系の 学校に通い勉学に励む。 |
1875年(16歳) |
オーストリア・フェルトキルヒにあるイエズス会のステラ学校に通う。 |
『エディンバラ大学』 | ||||||||||||||||||||
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1583年創立で長い歴史を有する大学 英国で6番目、スコットランドで4番目に古い大学。 英国屈指の難関大学の一つで卒業生には 政治家・小説家・ノーベル賞の受賞者など著名人が多い。 | ||||||||||||||||||||
『エディンバラ大学、主な卒業生』 | ||||||||||||||||||||
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1876年(17歳) |
エディンバラ大学の医学部に通い始める。 エディンバラ大学在学中に短編小説を書き始める。 |
1879年(20歳) | 最初の公開作品になる冒険小説「ササッサ谷の秘密」が 「チェンバースジャーナル」に掲載される。 父親の[チャールズ]のアルコール依存症が悪化し精神病院に 入院したため大学在学中に北氷洋行きの捕鯨船に 見習い船医として数ヶ月働きにで、家族の生活を支える。 |
1881年(22歳) | 父親の入院などのアクシデントの為に同期の友人達より 数ヶ月遅れたが無事に大学を卒業する。 卒業後は西アフリカへの貨物船で船医として働く。 |
次回[アーサー・コナン・ドイル・その2]へ続く