[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
今回はアメリカの[モダン・ホラー]の巨匠
[ステーブン・エドウィン・キング]について調べてみたいです。
スティーヴン・エドウィン・キング (Stephen Edwin King) |
|
生年月日 | 1947年9月21日 |
出身地 |
アメリカ合衆国 メイン州ポートランド |
モダン・ホラー作家で、作品の共通点としては 舞台を[キャッスル・ロック]という架空の町に設定している事が多く 細かく読んでいくと、小さな繋がりが作品どうしにあり ほぼ全ての作品が繋がっている。 |
『生い立ち』 |
1947年9月21日に父ドナルドと母ネリーの間の第2子として生まれる。
しかし不幸はすぐに始まる。
その後、母のネリーは朝から深夜まで働き
そしてスティーブンはウサギを主人公にした物語(4話)を書き
文章を書いたりする事が好きな子供だったスティーブンに
ちなみにスティーブンは幼い頃から、殺人事件のスクラップを集めていた。 |
『学生時代』 |
1966年~1970年 母親の勧めにで、教員免許を得るためオロノにある |
『大学卒業後の生活』 |
卒業し教師の職を探したのだが、見つからなかった為に
|
『小説家としての始まり』 |
全てを決定させたのが妻タビサの存在だった。
スティーブンがある小説を執筆中に、初稿3ページまで書いて
|
『私生活』 |
スティーブンは80年代に薬物依存症になる。
|
『別名義』 |
アメリカの出版業界では作家1人で1年に1冊だけ出版するという
その時に使った別のペンネームは |
『リチャード・バックマンの名義作品』 |
『ハイスクール・パニック(1977年)』(Rage) |
『死のロングウォーク(1979年)』(The Long Walk) |
『最後の抵抗(1981年)』(Roadwork) |
『バトルランナー(1982年)』(The Running Man) |
『痩せゆく男(1984年)』(Thinner) |
『レギュレイターズ(1996年)』(The Regulators) |
『Blaze(2007年)』 |
今回は知っている作品が多かったのですが
[ステーブン・エドウィン・キング]の作品の多さに驚きました。
知っている数と知らない数の比率が酷い事になりました。
しかし、生い立ちなどを調べていたのですが
キーになっているのは、女性ですね。
彼の人生で2人の女性の存在が大きいと思います。
母子家庭の[スティーブン・エドウィン・キング]の家は幼い頃は
風呂がなく、遠くの親戚の家に風呂を借りに行っていたみたいで
金銭的にはかなり厳しい状態だった中に
それでも文章を書く事が好きな息子に
クリスマスのプレゼントとしてタイプライターをプレゼントした
母親のネリーが1人目です。
そして2人目は妻タビサです。
大学を卒業してすぐに結婚したのは苦労とは思わないのですが
デビュー作の『キャリー』のエピソードなどは
[スティーブン・エドウィン・キング]の作家人生の起点になっています。
彼の小説への情熱を理解していないと決してできない事です。
それに成功後の依存症の克服への手助けなどは素敵だと
思います。
二人の女性に恵まれてこその、今の作家としての
[スティーブン・エドウィン・キング]だと思います。
映画化された作品が多いので有名で未だに見ていない
[ショーシャンクの空に]でも、今度みてみたいと思います。
今回は『フランシスコ・フォード・コッポラ』について調べてみたいです。
『フランシス・フォード・コッポラ』 (Francis Ford Coppola) |
|
生年月日 | 1939年4月7日 |
出生地 | ミシガン州デトロイト |
国籍 | アメリカ合衆国 |
職業 |
映画監督・映画プロデューサー 脚本家・実業家 |
『フランシスコ・コッポラ 映画との関わり』 |
ホフストラ大学で演劇を学びながら、
|
『プロとしてのスタート』 |
「低予算映画の王者」と呼ばれる映画プロデューサー [ロジャー・コーマン]の元で本格的な映画制作活動を始める。
|
『起死回生の作品』 |
[マリオ・プーゾ]原作の『ゴッドファーザー(1972年)』の映画化により [フランシス]は救われる事になる。 $6,000,000の制作費で興行収入$245,066,411 簡単に計算しても40倍の興行収入なり 当時の興行記録を塗り替える大ヒットになります。
『地獄の黙示録(1979年)』
|
『転落への切欠』 |
『ワン・フロム・ザ・ハート(1982年)』 この作品で、自身の映画会社を売却することになる失敗をする。
|
『黒澤明監督との関わり』 |
日本映画の巨匠[黒澤明]監督の熱烈なファンであり
|
『映画以外のビジネス』 |
[ニバウム・コッポラ・ワイナリー(Niebaum-Coppola Winery)]経営している。 前身のワイナリーはカリフォルニア州ナパバレーに存在しており、 1985年にビンテージワイン「ルビコン」を発売し世界的評価を受ける。
ワイナリーの敷地内には[フランシス]が手がけた映画の博物館が
|
今回は個人的に大好きな作品の監督『フランシスコ・フォード・コッポラ』
について調べてみました。
『ゴットファーザー・シリーズ』『地獄の黙示録』『ドラキュラ』などが大好きです。
正直、今上げた作品は『フランシスコ・フォード・コッポラ』監督だからという
訳ではなく個人的に好んで見ていた映画の監督が
『フランシスコ・フォード・コッポラ』監督だったのです。
まぁ調べてみる動機にはなりますね!!
そして今回は経済的にも成功している監督なのに、
窮地に陥っているのですね。
成功者とはだいたい窮地に陥っているものですね・・・あと、一度成功すると
調子にのって自分で窮地を作り出すのも共通点ですね。
今回の一番おどろいたのは、[ジョージ・ルーカス]の名前が調べていると
結構でてくるのです。
一緒に会社を経営していたり、一緒に映画を製作していたり
ワイン制作のビジネスをしていたりと、驚きました。
『フランシスコ・フォード・コッポラ』が監督した
新しい年代の映画はぜんぜんみていないので今度みてみたいです。
個人的には『Virginia/ヴァージニア』が興味を惹かれます。
今回はミステリー作家『アガサ・クリスティ』を調べてみたいです。
『アガサ・クリスティ』(Agatha Christie) |
(1890年9月15日 - 1976年1月12日) |
イギリス生まれの推理作家 |
1890年 9月15日 (誕生) |
イングランドナ西部のデヴォン州トー湾に面した保養地トーキーにて [フレデリック・アルヴァ・ミラー]と[クララ・ベーマー]との間に 次女アガサ・メアリ・クラリッサ・ミラーとして生まれる。 |
幼少期 |
少し風変わりな母親からの教育を受ける。 彼女の母親はかなり変わった価値観の持ち主で、 その母親の教育もかなり変わっていた。 たとえばの話ですが、 「7歳になるまでは字が書けない方が良い」 と本気で信じていたらしく この信念に基づいて、アガサ自身にも 文字を教えていなかったらしい。 (父親は、隠れて文字を教えたみたいです。)
そして極めつけの教育観が、「正規の教育を受けさせない」で
そんなアガサは比較的に裕福な家庭だったので
しかし、この友達がいない状態が、
このような幼少期ですが、母親の教育方針についてはアガサ自信は |
1901年 11歳 |
父[フレデリック・アルヴァ・ミラー]が死去。 アガサはこの頃から小説などの執筆を始める。 小説を書くことになった理由が病気(インフルエンザ)にかかり、 読む本がなくなったから自分で書き始めたらしいです。 |
1909年 19歳 |
アガサは長編小説『砂漠の雪を執筆していた。 アガサの家の近所にインド生まれの作家[イーデン・フィルポッツ]に 的確な助言を受ける。 |
1914年 24歳 |
アガサはアーチボルド・クリスティ大尉と結婚。 この時期は第一次世界大戦(1914年~1918年)中で アガサは薬剤師助手として勤務していた。 後に役に立つ毒薬の知識を得る事になる。 |
1919年 29歳 |
娘『ロザリンド』が生まれる。 |
1920年 30歳 |
苦労が実を結び『スタイルズ荘の怪事件』が 出版され作家としてデビューする。 |
1926年 36歳 |
『アクロイド殺し』の発表でミステリーファンの間で |
1926年 36歳 |
母[クララ・ベーマー]が死去。 |
1926年 12月3日 36歳 |
アガサは自宅をでたまま失踪してしまう。 11日後に保養地のホテルに別人名義で宿泊していたところ 保護されて解決する。
自伝でもこの失踪事件のことは触れていません。 この失踪事件を題材にした映画『アガサ 愛の失踪事件』 |
1928年 38歳 |
アガサついに離婚。アーチボルドは愛人と再婚する事になる。 |
1928年 10月 38歳 |
離婚後に友人の家に招かれて、オリエント急行や イスタンブールの話を聞いた事がきっかけになり後の 『オリエント急行の殺人』執筆に繋がる。 |
1930年 40歳 |
中東へと旅行中に考古学者のマックス・マローワンと出会い、 後の9月11日再婚する。 |
1943年 53歳 |
『カーテン(1975年)』及び『スリーピングマーダー(1976年)』 を死後出版の契約をする。 |
1952年 11月25日 62歳 |
アガサ書下ろしの戯曲『The Mousetrap』がロンドンの |
1955年 65歳 |
アメリカ合衆国の推理作家の団体、 アメリカ探偵作家クラブ (Mystery Writers of America 略MWA) MWA賞巨匠賞 受賞。 |
1956年 66歳 |
大英勲章第三位 (CBE) コマンダー司令官 叙勲。 |
1971年 81歳 |
大英勲章第二位 (DBE) デイム・コマンダー司令官騎士 叙勲。 |
1973年 83歳 |
アガサ生涯最後の執筆『運命の裏木戸』を発表。 |
1975年 85歳 |
死後契約だったが『カーテン』の発表を許可する。 |
1976年 1月12日 満85歳 |
イギリスのウォリングフォードにある自宅で 風邪をこじらせてしまい死去。 イギリスのセント・メアリ教会に埋葬される。 |
1976年 | 死後契約だった『スリーピングマーダー』が発表される。 |
2009年 |
未発表の短編集 「犬のボール」や 創作ノートをまとめた『アガサ・クリスティの秘密ノート(上・下)』 などが発表される。 |
今回調べた『アガサ・クリスティ』ですが、本当に殆ど知らないです。
彼女について知っていた知識をならべると
1、ミステリー作家(ただ国籍不明)
2、「オリエント急行の殺人」の作者
3、イスタンブールに何時もとまるホテルがあった(旅行番組で観た!?)
書いた項目の3番目は少し微妙ですね。
しかし世間での評価は凄い人ですね。
調べれいけば調べていく程に、凄い作家だと言うことを知りました。
「聖書」と「シェイクスピア」の次によく読まれている」と言われていたり
ギネスブックにも「史上最高のベストセラー作家」などに認定している。
ある意味、こんなに凄い人の作品を殆ど知らない自分が凄いと感じます。
ここまで世界中の人に愛されている作品が多いので
近いうちに、映画化された作品でも見てみたいと思います。